伊丹の名刹、昆陽寺を紹介します。
昆陽寺(「こんようじ」、地元では「こやでら」と呼んでいます)は、行基により奈良時代(天平3年(731年))に創立された昆陽施院(「こやせいん」、施院とは貧民救済のための施設のことです)から始まる、真言宗の寺院です。阪急またはJR伊丹駅からバスで約15~20分で着きます。
バス停から昆陽寺を目指して歩いていくと、先ず目に入るのが朱塗りの山門。この山門は、江戸時代は「西国街道」とよばれ、現在は国道(国道171号線)となっている道沿いにあります。
昆陽寺は織田信長により焼失されたそうですが、現在ある山門(および境内の建物)は、江戸時代中期(1655~58年)に再建されたものです。
お寺の境内から見た山門です。
ここで、境内にあったこの寺の全体図を示す看板を挙げます。大きな建物は、「鐘堂」、「本堂」、「行基堂」、「観音堂」です。その他に2つの神社や供養堂などがあります。
山門をくぐると右に手水舎。その奥に鐘堂があり、塀のそばにはお地蔵さんや石碑が建っていました。休憩所もありました。
これが鐘堂(しょうどう)です。寛永元年(1789年)の再建だそうです。
これは本堂(薬師堂、瑠璃殿と称される)です。このお寺の本尊である薬師如来が祀られています。この薬師如来は行基自製と伝えられています。
本堂の前にある大きな木には雷が通った跡が残っていました。
本堂の後ろに行基堂が見えます。
これが行基堂(開山堂)。行基や他の菩薩が祀られています。
行基塚
この道をまっすぐ行った所に供養堂がありました。
観音堂。十一面観音が祀られています。寛永元年(1789年)に再建されました。
観音堂の手前にある弁天堂。
本堂や行基堂、観音堂の周りには、小さな神社や納骨堂などの建物や石碑がありました。
お寺の裏庭には川が流れ、小さな森になっていました。そこには、「西国三十三所霊場石仏」、「四国八十八ヶ所霊場石仏」があります。薄暗い森のあちこちに、赤い帽子をかぶった石仏がおいてあり、その中の散策は、ちょっとしたピクニック気分です。
この寺も1995年の阪神淡路大震災で大きな被害を受けましたが、1998年には復興が完了したそうです。
山門を除いて、境内の建物はどれもとても地味で、しっとりと落ち着いた気分になれます。
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